伊助のよもやま話
人と竹 人はこの世に生まれて、皆に喜ばれ、大事に育てられる。 しかし、中には外れたり、曲がったりして育っていく人もいる。 そうして最後には枯れて、後に残った人が、子孫を育てていく。 人それぞれが生まれ枯れていく。竹それぞれも人と同じように生きる。 竹の特徴と人の生き方を比べると面白い。 竹は、互いが住みやすいように生まれ出てくる。他の竹の邪魔にならないように、自分の生える場所を選択する。 もし場所を間違ったら、自分の方から枯れて行く。なぜなら、狭いところに生えると、栄養の取り合いとなり、全部が枯れる事にならないようにする為だ。 兎に角、譲り合うことが大切なのだ。人間も見習うと良い。 生えてくる新竹は、空地を目指し探して進んでいく。 途中に竹の根があると遠慮して、遠回しに伸びていく。 よく田舎の道を歩いていると、アスファルトを持ち上げて進んでいる竹の根を見かける。凄い力である。 もっと凄いのは、10年毎と言われているが、竹によっては10年経つと全部枯れてしまう事がある。 しかし、総倒れになっても地下の竹は生きている。 全部枯れた後、1年後には細い芽を出し2〜3年を経て、元の様な薮になる。 これは人間には真似が出来ない。 同じ様なことが人間の世界でも出来たら、どうなるだろう……。 なんの縁があってか、いきのいい竹を扱わしてもらっている事に感謝している。 山へ好きな竹を切りに行った時は、気持ち良く伸びている竹に、必ず心の中で「ごめんね」と言って切る。 そして、今以上に良い所へ持って行って、可愛がってもらうからと見上げる。そのせいか、倒れる時に良い音を立て、その音は「よろしくお願いします」と聞こえてくる。 竹も切って捨てるものもあり、お座敷に使われ、皆に可愛がられるものもあり、様々だ。 竹も人間も同じだと、思いにふける。 竹が好む季節、秋が訪れました。 |